市川春子「宝石の国」アフタヌーンKC

「宝石の国」は、特異な世界観を持つ。
「にんげん」が存在していた過去が「古代」と呼ばれる遠い未来、
六度の流星の飛来で「にんげん」が「魂」と「肉体」と「骨」に
分離したと伝えられる。

「魂」は、月に赴き「月人(つきじん)」となり、
「肉体」は、海洋にあって「アドミラビリス族」となり、
「骨」は、「宝石」になった。

「月人」は、装飾品にするために「宝石」を掠いに来る。
「宝石」たちは、武装して「月人」と対決するが、
幾人かは掠われて戻らない。

主人公の「フォスフォフィライト」は、美しい薄荷色をしているが
極めてもろく、すぐに割れてしまう弱点を持っている。
この物語は、彼(外観はほとんど女性だが)の成長と
「月人」が「宝石」たちを掠う理由の解明を中心に進んでいく。

鉱物であるため、粉々になっても再生可能な「宝石」であるが、
個々の特性による苦悩(例えば、ダイアモンドは硬いが割れやすい)
もあり、魅力的な物語になっている。

アニメ化もされ、美しい作画と音楽で楽しめた。
第2期を期待してしまう作品である。

光永康則「怪物王女」シリウスKC

この作品は、藤子不二雄Aの「怪物くん」への
オマージュである。まあ、コミックなので、
パロディと言ってもいいかもしれない。

設定なので、ネタバレにはならないと思うから、
関連性を書いてみよう。

主人公は、どちらも「怪物の国(あるいはそのような生き物を
統べる国)」の王子または王女である。
「怪物くん」は皇太子であり、王位継承のために人間界に修行に来ている。
「怪物王女」は第二王女であり、本名(リリアーヌ)を嫌い、
「姫」と自称している。兄弟同士は王位継承闘争の渦中にあり、
お互いに殺し合いをしている。

「怪物くん」のお供には、狼男、ドラキュラ、フランケンシュタインが
いるが、「怪物王女」には、
人狼と人間の混血の半狼少女である「リザ・ワイルドマン」
純血種の吸血鬼である「嘉村令裡」
フランケン・シュタイン博士に作られた人造人間である「フランドル」がいる。

オリジナルキャラとしては、柔弱な少年である「日和見 日郎」がいる。
「日和見 日郎」は事故で死亡したが、「姫」の血を飲むことによって
半不死の「血の戦士」として蘇り「姫」を守ることになる。

物語は、次々と発生する怪事件と王位継承闘争を中心に描かれ、
パロディでありながらも魅力的な登場人物によって
飽きのこないストーリーが展開する。
テレビアニメ化もされたが、さすがに「血の戦士」は放送上無理だったのが
残念でならない。

ギョーム・アポリネール「一万一千本の鞭」河出文庫

ギョーム・アポリネールはフランスの詩人であり、
「ミラボー橋」で有名である。

しかし「一万一千本の鞭」はエロ小説であり、
当時は匿名で発行され、発禁処分を受けている。

主人公は、第一次世界大戦で旅順で日本兵と戦い、
最後には処刑される。

処刑では、
鞭を持って左右に並んだ一万一千人の日本兵の間を
鞭打たれながら行軍して、主人公が絶命する、
というサディスティックな光景が展開される。
いや、瀕死の主人公には、振り下ろされる鞭が、
一万一千本の男根に見えていたはずなのである・・・。

塩野七生「ローマ人の物語」新潮文庫

塩野七生畢竟の大作である。
文庫版で全43巻あり、読み応えは満点といえる。

これは、歴史書なのかフィクションなのかという
疑問があるが、紀元前からの物語を事実だけで
構成することは不可能であり、そこには想像や
作者の思い入れが反映されている。

特に、作者は「ハンニバル・バルカ」や
「ユリウス・カエサル」が大好きなようで、
ハンニバル戦争やルビコン越えの話では、
作者の高揚感に巻き込まれてしまうほどである。

ローマ帝国がどのようにして生まれ、滅びていったかを、
歴代の皇帝たちの生き方に寄り添いながら俯瞰することで、
「平家物語」の栄枯盛衰を、壮大なスケールで感じられるだろう。

ところで「ユリウス・カエサル」は大変な女好きだったそうで、
彼が凱旋してくるとローマ市民は、
「ハゲの女たらしが帰ってきた」と
女房や娘を隠したそうだ。
なるほど「英雄色を好む」とはここから来たのか。

イタロ・カルヴィーノ「不在の騎士」河出文庫

イタロ・カルヴィーノは、キューバ生まれ、
現代のイタリアを代表する作家である。

「不在の騎士」は、「われわれの祖先三部作」の
ひとつであり、他に「まっぷたつの子爵」、
「木のぼり男爵」がある。

カルヴィーノは、第二次世界大戦中に
レジスタンスに参加していたため、本作にも寓意を
見いだす人がいるが、そんなことにはおかまいなしに
奇想天外な物語を楽しむのが一番である。

主人公の騎士は、真っ白な鎧に身を包み、
同僚の女性騎士からも恋心を抱かれるほどであるが、
その鎧の中身は空洞である・・・。

騎士たちは、出撃に備えて下半身の鎧のみ脱いだ状態で
待機している、などの蘊蓄(真偽は不明だが)もあり、
待機中の女性騎士の姿を思い浮かべながら、
にやにやするのも一興かもしれない。

湯本香樹実「夏の庭」新潮文庫

この本は、ぢいさんが死ぬ話である。
少年たちは、死に興味を持ち
早晩死ぬであろうぢいさんを監視する。
ところがどっこい、ぢいさんとは
しぶといものなのだ(笑)

少年たちは、ぢいさんとの短い夏を過ごし、
ぢいさんの死を看取り、
自分たちが想像の中で見ていた死と
正面から向き合うことになる。

少年たちは中学受験で離ればなれに
なってゆく。
あの世に知り合いがいることを
とっても心強く思いながら・・・。

夢野久作「夢野久作全集」ちくま文庫

ヤアヤア。
遠からむ者は望遠鏡にて見当をつけい。
近くば寄って顕微鏡で覗いて見よ。・・・

これは「ドグラ・マグラ」の中の、
キチガイ博士の手記の出だしである。

夢野久作の作品は、まさに迷宮である。
そして「ドグラ・マグラ」こそは、
永遠に読み解くことのできない巨大な謎である。
複雑に入り組んだ小説の弁証法は、
いかなる高みに止揚するのであろうか・・・。

この全集は、日本文学に異色の地位を持つ作家の
全貌を収めた快挙である。
悪い夢にうなされて眠れない夜はこの叢書を紐解こう。
起きながらにして、悪夢の連鎖があなたを襲うだろう。
えっ、それなら寝てる方がマシだって?

吉野弘「吉野弘詩集」ハルキ文庫

最近は忘れられてしまったようだ。
やさしい、という言葉の本当の意味が・・・。
吉野弘は、やさしさをうたう詩人である。
肌と肌が触れ合うような言葉の感触に
ゆったりひたって欲しい。

「夕焼け」(部分)
やさしい心の持ち主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持ち主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。

山中恒「ぼくがぼくであること」角川文庫

作者の山中恒は、戦前戦中の少国民教育の全課程を再発掘し、
それを「ボクラ少国民」4部作として記録に残した。
彼は昭和6年生まれ。
彼自身が典型的な軍国少年であった。
「ボクラ少国民」は、軍国教育の中で生きた自分自身との関連を
厳しく捉えており、作者自身の歴史の痛恨を見る思いがする。

「ぼくがぼくであること」は主人公の秀一少年が、
夏休みに家庭のごたごたが嫌になって家出して、
そこで出会ったひき逃げ事件や、薄幸の少女夏代との出会い
などを通して、自分をもう一度見つめ直す物語である。

小説だから、あり得ないことが次々と起こるのだが、
きみはきっと気が付くはず。
主人公の少年は架空の人間ではなく、
どこにでもいる
なんの変哲もない
きみ自信に他ならないのだから・・・。

山本昌代「文七殺し」新潮文庫

戦国時代好きのお父さんの期待には沿えない。
捕物帖好きのお父さんの期待にも沿えない。
市井の暮らしを描いたほのぼの時代物とも
一線を画している。

登場するのは、
許婚を愛するあまり殺してしまう娘、
生身の女より美人画に惚れて、
その代筆に精魂傾ける絵師、
そして・・・化け物。

「化け物退治」を読み終わったとき、
あなたは怒りとも悲しみとも区別できない
不思議な感情に支配されているはずだ。
江戸時代は冷酷と愛とが同義語だったのかと
戸惑いの中に沈むかも知れない。